資格所得は就職の際に有利なのでしょうか?
行政書士や宅建、FPなど就職に有利という理由だけで

資格を取ろうとしている人がいるのですが、

これは、就職活動の際に全ての企業に有利になるものなのでしょうか?

私は、少ししか有利にならない、その仕事に関係がないと意味がないなどと聞いたことがあるのですが・・・


- 回答 -
資格の有用性、それは一般化して言えることではありません。一人一人、個性があり適性があるように、資格の有用性は人それぞれの適性や相性によって違います。以下、他のところでも書いたことですが書かせて頂きます。資格の真価というものは世間一般の評価とは別のところにあります。自慢のタネより飯のタネという言葉があります。接客のようなことは不得手で、一人で黙々と働くほうが好きな人がいたとします。その人は倉庫の中で一日中フォークリフトの作業をすることが自分の適性に合う仕事だと思っているとすれば、世間的にはあまり価値のないフォークリフトの運転技能講習修了証も本人にとっては大切な意味を持ってくるわけです。その仕事を真面目に続けて上司から評価されるなら、その仕事も資格も本人の人生において(自慢にはならなくとも)誇りにはなり得るのです。自慢のタネとして資格や免許を求めることはやめて飯のタネとして資格や免許を求めるべきだと思います。漢字検定のブームの社会的背景にも実益から遊離した観念的需要があるように思えます。この知恵袋でも世間の人々の資格や免許に対する関心の高さを痛感しますが、そのようなこだわりは、A・マズローの欲求階層説においては4段目の尊敬や評価・承認の欲求にかかわる問題であると同時に、それよりもまず生理的欲求や安全の欲求という生活の基礎にかかわる問題だと思います。世間の一般的評価で考える前にまず自分自身が生業として続けてゆける仕事、続けてゆきたい仕事はどんなものかを考えるべきです。そこからその仕事のために有用な資格・免許が導き出され、それを目指せばよいと思っています。人が羨望する資格は国家資格、公的資格、民間資格、いろいろありますが、仕事とは無関係に取る人もおられるようですね。それは本人の趣味か何かなら自由ですが、結局そんなして、せっかく苦労してお金もかけて取得した免許や資格を持ち腐れている人も少なくないんですよね。もったいない話です。それもやはり資格や免許というものを飯のタネよりも自慢のタネにしようとする欲求によることでしょう。実益から遊離した世間体のレベルで資格というものを受けとめる傾向が強いのですね。たとえ弁護士や公認会計士や司法書士や行政書士などの羨望される資格を取ったとしても、本人がその資格を活かして生活を営んでゆけなければ持ち腐れになって自慢にも誇りにもならないのではないでしょうか?実際そういう人はいます。開業したからって仕事が自動的に入り続けるわけでもなく辞めようかと思う試練は訪れます。その逆境を乗り越える力は世間体なんかではなく、その仕事に対する意欲ややり甲斐といった強い意志だと思います。ある意味そこにその人とその仕事ないしは資格・免許との内的必然が試されるわけです。世間体がいいからといった外的なつながりだけでは逆境に耐えられず継続してゆけません。好きな仕事なら食えなくなっても続けたいと思うものです。ですから世間の外的評価はあまり参考には出来ない。たとえば軽トラックで物を配送するというような仕事は世間的には評価は低いかもしれない。しかしそういう仕事に適性や関心のある人がいたとします。その人には誰でも持ってるような(その点ではあまり価値のない)普通自動車一種免許しかありません。しかし、その免許を用いて軽配送の仕事で活き活きと生活してゆけるなら、その普通自動車一種免許はその人にとってとても価値あるものです。世間一般の価値観とは関係ありません。いわゆる「ニート」と呼ばれる人々、中年でも引きこもり状態にある人々さらに障がいをかかえながらも自立しようと模索している人々においては、職業やそれに伴う資格・免許に対する価値観の転換が必要だと思います。社会人にとっては結局、何をやって自活し得ているかが最大の問題であり、資格や免許はその生活手段の一部にすぎないと思います。日本では資格や免許に対する幻想が強いと思う。人生においては世間一般の幻想的価値観よりも人それぞれの個性と適性に応じた現実的価値観が重要!そのことを若者たちに伝えたい。以上のことは村上龍氏の『盾(SHIELD)』〔幻冬舎〕という絵本の影響もあって思い至っているものです。無用なことを長々と書いてすみませんでした。

(この記事は「Yahoo知恵袋」より引用させて頂きました)